西成区の地域情報
上町台地の西側に広がる低地帯である。区内はおおむね平坦な地形となっている。
木造アパート、マンション、工場が多く、住宅地と工業地区が混在した下町である。一方で天神ノ森地区は阿倍野区から続く閑静な住宅地でもある。
あいりんと呼ばれる地区は、区の北東部の萩之茶屋付近にあり、かつては日雇い労働者の町として知られた。新今宮駅に近いという交通アクセスの良さと比較的低価格で宿泊できる日雇い労働者向けの宿泊所が海外からのバックパッカーを呼び寄せている。地域区分はおおむね小学校区と一致するが、一部例外もある。地域区分としての地域名の境界(小学校区および連合振興町会の管轄区域)は、住居表示上の町名の境界とはほとんど一致しない。
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中世頃までは現区域の大半が海辺に面していたと推定される。海道・甲岸・入船(以上、現在の萩之茶屋付近)、曳舟(現在の天下茶屋北付近)、今船(現在の天下茶屋1丁目付近)などの旧地名は、海辺に面していた痕跡を伝えていると考えられている。 後奈良天皇は1557年4月、宮中への大鯛献納に対する感謝の意を示す文書を、今宮村に対して出した。区内にある弘治小学校の校名は、文書が出された当時の元号・弘治に由来している。 区の南部の玉出は12世紀以降開発が進められ、中世・近世には生根神社を中心とした環濠集落となっていた。 近世になると戦乱の舞台となったことを示すような記録も残されている。天正年間(1573年-1593年)には本願寺門徒が織田信長と戦い、木津川口の防衛のために城塞を築いたと伝えられる。区北部にある出城の地名は、このときに築かれた城塞があった場所と伝えられていることに由来している。
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